あーとで庭~薔薇との対話で自分探し

いまここに

2006年02月15日 15:46

 日本からアメリカの田舎町に初めてやって来た時
知り合いが誰もいなかったので  


   
あえてフロントヤードに大好きな薔薇を植えた                                 
普通フロントヤードは
花を植えないとか専門家の間では規定があるが

私は疑うことなく迷うことなく自分流を取り入れた 


動物を嫌がる人はいても
花を嫌がる人がいないことは小さい時からの体験でわかっていた

日本の両親は趣味で薔薇の園を作っていた
ぶどう棚の下には大きなテーブルがおいてあり

そこにいつも大人も子供も集まってきた
そして必ず母手作りのおいしい料理がおいてあった

新しいこの土地でも
花が咲き出すと人々は必ずガーデニング中の私に声をかけてくれた
声をかけずにいられなかったに違いない
      

花の人を引き寄せる自然力は想像以上だった     

小さな子供たちは次から次へと友達を連れてきてくれた
私はお礼に花を一輪、その場で手渡した

日本を離れアメリカの言葉に戸惑うことを、

土をいじることで私の心が子供の頃に育った環境と重なりあい
だんだん自分探しの旅のように
庭づくりにのめりこんでいった

人生はなんてうまく出来てるんだろう

無駄なことって何にもないんだなあ   

睡眠時間がまともになかった東京の忙しいギャラリー生活に終止符を打ち
アメリカでの生活を選んだ私は

突然やってきた思いもかけなかった私だけの贅沢な時間を
心から楽しむようになっていった
この田舎町に来るまで考えも及ばなかったことだった

確か、2,3ヶ月はボーと外を眺めていたと思う
だんだん自分が何を求めているのか気づくのに時間はかからなかった

今度はこの庭が私のギャラリーだった

花が大好きという人はたくさんいるが

花を愛するようにと実践して育ててくれた両親に私は感謝した

花を愛するということは

花をよく見ていないといけない

しかもこのアメリカの乾燥しきった粘土質の土地は
なかなかおもうようにはいかなかった

試行錯誤をしてあっという間に10年がやってきた

来た当初ただの荒れ果てた芝だけの庭は
見違えるようになって人々がほめてくれるようになると 
庭に全く興味のなかった相棒がはじめて薔薇のアーチを手伝ってくれた

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大きな薔薇のアーチの元で
子供時代を過ごした記憶が走馬灯のように浮かんできた

人間が自然の中に身をおき生きる事が出来たら
これほど力強いものはないなあ
と感じるようになっていった

自然の中に身をおくとは
時に動物に接したり
植物に接したりができるということだ

都会ではなかなかそれができない

田舎暮らしは素敵だな           
自然が身近にあることがうれしかった

去年の夏、私たちはさらに田舎に土地を求め移った

この春から新しい大地と自然との対話を始めようとしている

その前に今までに作ってきた薔薇を記録したいと思っっている

子供時代を母の田舎で育ちそれから父の故郷東京に戻った

私の中には
花々に囲まれた心豊かに穏やかだった田舎町と
エネルギッシュな東京の二つの面が
絶えず同居しているのだ

それは私のルーツ自分探しの旅と同じようなものだから

薔薇との対話しながらの記録はこれからもまだまだ続いていく

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