健康的生活とは?(父の死から思うこと)

いまここに

2006年09月01日 04:39

一体なんだろうと、今日は考えてみる

私の父はいつものように今年の桜を見た後
おなかの調子を崩し
病院に入ってから24日目
ありがとう、もういいだろう、世話になったと目を閉じ手を合わせて
90歳と6ヶ月の人生に幕を下ろした

    夜桜の花びらを拾い集めて子供のように遊ぶ父

それは実にさわやかな最後の際だった

死に至った直接の原因は肺がんということだったが
50年前にタバコはやめていてその後一度も吸ってはいなかった
多くの戦争体験者がそうであったように戦争時代に肺をいためていたことも関係が深いようだった

戦争では目の前で次々と人が死んでいった
自分はただただ幸運だっただけ、
そのことに感謝し自分に恥じないような生活をし
健康をこころがけて
社会に貢献していくことを考えているような一生だったように思う

恩給の手続きの手紙を受けとった時も
静かにお仏壇に置いただけ
こんなもんいただくことは出来ん。全く必要なしといいきった

生活の仕方もものの考え方も政府や他人を頼らずに出来るだけ
自分で出来る範囲で多くを望まず、いつも前向きな人だったから
当然のごとく自分で最後の際も選んだかのようだった

日本でのお葬式や埋骨式も済ませたので今、私はアメリカの我家に無事たどり着いたところだ
アメリカ在住のため電話連絡はほぼ毎日していたが、
病気知らずだったとはいえ高齢の父を思い、いつかこうなる日があると、予想はしていたが、
それは突然やってきた
ちょうどなくなる1ヶ月前のことだった。

3度の食事作りをして父と共に過ごしたあと
入院してあっという間にこの世を去った。後始末などで計約3ヶ月間の日本滞在をした

明らかに父の死で私の中でひとつの時代が終わったのを感じていた

新盆も済ませるとご住職さんは最後に私たちに伝えてくれた
決して故人の死を無駄になさらないでくださいよ

私はどうしたら父の死を無駄にしないですむかを考えていたところ

偶然にも
ひとつの言葉が私の頭の中にしまってあった引き出しから突然よみがえってきた
もう20年も前に見ていた健康道場という言葉だった

きっといつか
ぜひ参加したいとづ~と思っていたのだと思う

こんな風に私の中で何かがひらめいて迷いなく行動できる時は
大体いい出会いがあって,周りのお人に助けられて
新たな一歩が踏み出せる時でもある
疑いなく前に進める事が出来る

今回もそうだった

父は何よりも大切な健康的生活を教えてくれていた
自分の歯でゆっくりと感謝をしながら大切に食事をして
60歳のときからの同じ体重を維持していた

健康的生活とはきっとお人によっての価値観が違うのだと思うが

父の場合は健康を支えていた体力というより
精神力がとてつもなく強かったのではないかと思っている


そしてその精神力を支えていたものは
多くの戦争体験者がそうであるように
明日の命はないという状況を目の当たりにしながら
想像を絶する戦争体験の中を
無事生き延びてこられたという命の大きさをいつも心に据えて
毎日を過ごしてきたからなのだと思う


24日間いた病院で一度だけうなされて夢を見ているような時があった
それは戦争のため召集されて列をなしている時の様子のようだった
自分の名前と所属部隊などを言っていた

普段は余り戦争の話しがほとんど出てこなかったので
余計にその重さを感じた
既に60年以上も前の経験体験だ

父を身近にみてきて、90才になっってからも
毎日自転車を踏んで公園に行き
広い空に向かってブーメランを飛ばしていた父は
どんな未来を夢見ていたのだろう

私は90歳になっても未だ未来に向かうポジティブな気持ちでいられるのだろうか

それを持続するために強靭な精神力を持ち合わせていない戦争体験のない娘は
取りあえずもう一方の健康を支える具体的な身体作りを今、ここで勉強したくなったのです

アメリカに住んで10年の月日が流れます。
若いときは大好きだった油っぽい欧米式食事はもう身体が
受け付けなくなって久しくなっていました

日本人である自分本来の身体の見直しをしたいと思いました


アメリカではケールも簡単に手に入ります。青汁を朝と夜2回作ります

玄米を主食に日本食小食を目指します



まさに心身健康道場は自分の身体をより知るきっかけを与えてくれました
興味のある方はこちらまで

道場長さんの無理強いをしない凛とした中にある暖かさと
それを補佐する自然体のスタッフの明るさが
絶妙な味となってあなたの身体を考えてくれます

http://www.kenkodojo.com/dojyo.html

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