手作りぶどうジュースで再会

いまここに

2006年09月27日 08:04



Mary Ellenのことは時々ここにも登場してますが


日本滞在中の8月のある日相棒の電話でもう一人の死を知らされた
もちろん87歳の彼女ではなく

彼女には3時間ぐらい行ったところにお嬢さんが住んでいるんですが
夫、つまり義理の息子51歳、心臓発作だった
2週間でなくなった

そのため、彼女は娘の家で精神的な助けをして2ヶ月ぶりに帰ってきた

私の父が亡くなった時、特別にお悔やみのカードもいただかなったけど
彼女は即次の日に私の家に飛んできてくれて
お昼を共にしてくれ
夕方、暗くなる前まで一日中十分に私の話を聞いてくれてた
父の思い出話で、涙を流したりして
きっと私は一方的に話していたはずだ

これは私にとってとても心が落ち着くうれしいことだった
誰かに話すことはとっても必要だった
特にアメリカに戻ってからは

それも、暖かく彼女のやり方で包み込んでくれたからだ

ああ、友達とは本当にありがたいことだと、つくづく思った
そして彼女にしか出来ないやり方が好きだった


お葬式も済ませ彼女が家に戻ってきたのは直ぐ分った
毎日テナントハウスでリノベーションに通って彼女の家の横を通っていったからだ

見慣れている赤い古いトヨタの車がもどってきてなぜかほっとした

ドアべルを押すとゆっくりと彼女が現れいつもの笑顔で
私たちはお互いに2ヶ月ぶりで抱き合った

彼女の表情から直ぐには義理息子さんがなくなったことは話せなかった

目に付いたものはこれ
彼女の庭から収穫したぶどうグランマのぶどうの木は既に200年経っているという



戸棚の中から出してきたのは去年のぶどうで作ったジュース





なかのぶどうもまるごとたべるとおいしいね^^
そうそう、やっぱり笑い顔は素敵だなあ。。カメラポーズも慣れたMary Ellenです

それからぶどうジュースを持ってリビングに座り込むことあっという間に5時間

抑えていた悲しみが一気にあふれ出した
私はMary Ellenの泣き顔を真正面ではじめて見た

多分あの時も
彼女のご主人が山で遭難して一度戻ってきたが
彼はどうしても納得せずもう一度出かけて帰らぬ人となった時

その頃は私たちは未だお付き合いが始まった頃だったから
私は新聞の記事で知っただけだった
今ではいろいろ思い出話として話してくれるが。。。
だから私は彼女の涙を今まで見た事がなかった

とても強い女性だった

それから彼女は芝を刈り、トマトがなっている小さなグリーンハウスの手入れをして
1週間が経ったある日

車のインテリアの布がたれてくるのを直すのを手伝ってる時
彼女は私に告げた

10月の日本行きまでにはManna(私たちの愛犬)を世話したいから戻ってくるつもりだけど
New Mexico 州Albuquerque,更に足を伸ばしてArizona州まで行っていとこに会ってくるわと
まるで、その辺にショッピングに行くように言った
最低4日間は休みなし車乗りつづけてもでもかかるはず。。。。

今夜は中国の曲芸団の演技を見てくると付け加えて


次の日の午後彼女の家の横を通ると
彼女の赤い車はすでに消えていた

行ってらっしゃい。。もどってきてよ^^私は心の中で無事を祈っていた
まあ、弟ジョンと一緒だからだいじょうぶだとおもうけど、


悲しかった出来事を乗り越えようとしているMary Ellen

こんなときアメリカの独立心旺盛な強靭な
でもさらりとかわす精神力にとても励まされるのだ



というわけで、私は今から、彼女の庭のグリーンハウスの修理に。
2日前の強風でビニールが敗れていたのだ

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